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再発しそうなギャンブル依存

一時期、パチンコをやめたくてもやめられないときがありました。(詳しくは→コチラ

今は自然と足が遠のいていたのですが、、ここ2日続けてパチンコ店に行ってしまいました(泣)




2か月半ぶりか

日記がわりのこのブログを見ると、以前パチンコ店に行ったのが3月下旬。だいたい2か月半ぶりです。

ちなみに、その3月下旬の前に行ったのが昨年10月です。

中国人がやっているマッサージ店(健全店)で60分3,000円の足裏マッサージを受けるのがかなり好きです。

先日も「マッサージ行こうかな、どうしようかな?3千円もったいないかな」と悩んでいるうちに、マッサージ店向かいのパチンコ店にふらっと入ってしまいました。

頭の中は「パチンコで勝って、その金でマッサージ店行けばいいじゃん」というギャンブル依存症患者的思考になってしまっていました。

客が少ない

しかし、今のパチンコ店てのは客が少ないですね。

新台のシマはいっぱいで座れませんでしたが、客はそこにしかいません。他はがら空きです。

タバコの煙が苦手なので、一人も客がいないシマの端台に座りました。北斗無双です。

最初の500円、全然回りません。なんじゃこりゃってぐらい。

もう500円だけやって全く回らないようなら台を変えるつもりで「玉貸」ボタンを押すと、いきなり金保留。

「まぁ、激熱で外れるパターンね」と思って、比較的冷静に見ていると・・・・当たりました。千円で。

そのあと5~6回連荘して約9,000発。換金したら31,400円でした。30,400円勝ちました。

勝ったら勝ったで金使うのが惜しくなって、結局マッサージ店には行きませんでした。

2日続けてのご来店

昨日、24歳派遣社員の女の家に訪問するつもりで仕事サボったのですが(→コチラ)、結局行きませんでした。よく考えたら昨日の時点ではまだ返済期日前ですからね。

で、時間が空いたので足裏マッサージ行って、夜の飲み会までの時間つぶしにパチンコ店へ。

時間つぶすのにパチンコ店に行くというこの発想。ヤバイですね。

台を選んでいる最中にヤバさに気が付き、1円パチンコの甘デジ台をチョイス。1,000円だけで1時間ほど遊べました。

パチンコ店通いが再発するときの、これまでのパターンにはまりそうです。

久しぶりに行って勝つ→何度も続けて通う→手ひどく負ける→行くのやめる→久しぶりに行って勝つ→以下同じ

今、ここが我慢のしどころです。

 

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パチンコと私~2~

パチンコ依存症に

些細なことでパチンコにはまり

社会人になり、20代後半まではギャンブルとは無縁の生活でした。パチンコはもちろん、競馬も宝くじも、賭け事は一切やりませんでした。別に我慢していたとか、やらないようにしていたとかではなく、生活するうえでそういう発想に至りませんでした。

ある日、仕事で外出した先で予定外に早く仕事が終わってしまい、夜の飲み会まで3時間ほど時間が空いてしまいました。

時間つぶしに、目の前にあったパチンコ屋に入店しました。

色々な台がありましたが、漫画を読んで知っていた華の慶次という台を打ちました。5千円でかかり2時間で7万円勝ちました。

これで味をしめてしまいました。

それから会社の近くのパチンコ屋に通うようになりました。

最初は華の慶次、次第にガロという台をメインで打つようになりました。

最初のうちは勝つことの方が多く、1万円程度でかからない場合はすぐやめるというような打ち方でした。投入金額が2万近くになってくるとドキドキしていたことを覚えています。

ただ、そんな事にはすぐに慣れ、3万円というのが自分の中での一つの目安になってきました。

仕事帰りにほぼ毎日パチンコ屋に通う生活になりました。もちろん家族には内緒です。仕事で遅くなったことにしていました。

当時は小遣い制だったので、パチンコに行くための手持ちの現金がないときはクレジットカードのキャッシングも利用しました。

ただ、これは利用明細が自宅に届くということもあり、家族にばれてはまずいので、2~3回しか利用せず、ここから多重債務に陥るということは、幸いにしてありませんでした。

家計の管理を任され泥沼に

次第に、本来家計に入れるはずの金を家族には内緒の口座に入れることでパチンコの金を工面するようになりました。

もちろん家計に入る金が少なくなるので、家計の口座の残高はみるみる減っていきます。嫁さんが金の管理に疎かったということもあり、残高が一桁万円になったことを嫁さんの家計管理のずさんさのせいにして、自分が家計の管理をするようになりました。

毎月一定額を生活費として嫁さんに渡し、残りは自分が管理するのです。

これでパチンコの金を工面するのに余計な工夫をする必要がなくなりました。生活費として渡す金以外はすべて自由に使えるのです。

仕事帰りはほぼ毎日パチンコ屋に通う日々です。

もうやめよう、やめたい、と思っても自然と足が向いてしまいます。やめるために家族にパチンコに行っていることを打ち明けようかとも思いましたが出来ませんでした。

ここまで来たら、あとは借金生活へ一直線、というのが自然な流れですが、幸い自分の場合は借金生活には陥りませんでした。毎月はもちろん赤字で、それをボーナスで補てんするという生活ではありましたが、借金をするところまでは至りませんでした。

・平日は20時~21時まで仕事が終わらない日の方が多く、そこからパチンコ屋に行くため、勝ちも負けもせいぜい1回2~3万円だった。

・家族にはパチンコをやることを言ってなかったので、土日は絶対にパチンコには行かなかった。

理由はこんなところですが、だからこそ逆にやめたいと思ってもやめられず、どうしたらやめられるのか、もう自分ではわからない状態でした。

仕事が忙しくなりすぎてパチンコにも行けず

そんなタイミングで仕事が異動となりました。

異動後は仕事が忙しすぎて、仕事が終わるのが早くて22時、23時や24時になるのもざらで、パチンコ屋に行けなくなりました。

たまに仕事が早く終わると当然パチンコ屋に行くのですが、週に1回とかそんな頻度になりました。

それでも、月に何度かはパチンコ屋に行く生活は変わらず、できればそれもやめたいと。というのも、平日の夜に行けなくなったかわりに、時々、家族に内緒で有給休暇をとり、平日1日パチンコを打つということまでやるようになってしまったからです。

仕事が暇になったけど自然とパチンコ屋に行かないように

そんなタイミングでまた仕事が異動となり、次はかなり暇な部署へ異動となりました。仕事が終わるのは毎日17時台です。

パチンコ屋に行こうと思えば、毎日行ける環境になりましたが、なぜか自然と足が向かわなくなりました。

それ以前は、仕事が終わってまっすぐ帰っても子供たちはもう寝ていました。今は仕事が終わってまっすぐ帰れば、家族と一緒に夕食がとれます。

あと、仕事の負荷も減りストレスが軽減したことで、パチンコでストレス発散や息抜きをする必要がなくなりました。

以前の忙しい部署の時に、パチンコ屋に通う頻度が少なくなっていたこともよかったようです。

そんないくつかの要因が、ちょうどよいタイミング、よい具合にマッチしたのか、あれだけやめたくてもやめられなかったパチンコが、自然とやめられたのです。本当にラッキーとしか言いようがありません。

でも、これからも気を付けないと

やめられたといっても、完全に生活の中からパチンコがなくなったわけではありません。時々思い出したように行ってしまいます。しかも一度行くと、2~3回続けて行ってしまいます。

徐々にそのインターバルが伸びてきているので、このままずっと、とは思うのですが、まだなかなか。で、先週金曜日、半年ぶりにパチンコに行ってしまいました。

結果は2万円投入して2万3千円出ましたので、3千円の勝ちです。パチンコを打ち終えたのが19時ごろでしたので、以前なら絶対に3千円の勝ちでは満足できず打ち続けていたと思います。

勝っているうちに店を出てこられたのは、自分でも成長しているなと思います。

あとは、続けて行かないように自制したいです。正直、今この時点でもうずうずしています。ただ、今さえ我慢できれば、もうすぐで完全に体から毒気が抜けるような気もしています。

ということで、一応、ギャンブル依存になってしまう人の気持ちも多少は分かっています。そのうえで、ギャンブルにはまっている人には金は貸しません。ギャンブルやめるには、最初は物理的にギャンブルが出来ない環境に身を置くしかないと思うからです。




パチンコと私~1~

先週金曜日、ずっとやめていたパチンコに半年ぶりに行ってしまいました。

でも、結果勝ちました。ワーイ。。

パチンコとの出会い

大学時代

初めてパチンコ屋に行ったのは、大学1年生19歳のときです。

大学進学のため田舎から出て政令指定都市で一人暮らしをすることになりました。最初に付き合った友人グループが、麻雀、パチンコ、競馬などのギャンブルを一通りやる人たちで、何も知らない田舎者の私は、それが都会の大学生っぽいという理由で、麻雀を覚え、友人に連れられパチンコ屋に足を踏み入れました。

モンスターハウスという台を打ち、ビギナーズラックで3.5万円勝ち、友人たちに焼肉をおごったことを覚えています。

2回目からは一人で行くようになり、さらに3回ほど続けて1~1.5万円勝ち続けました。大学生にとっては大金です。

ただ、そこでパチンコにはまることはなく、その後、1回7~8千円負けたのを機にパチンコ屋には行かなくなりました。

数百円という単位を中心に毎日の生活をしている未成年者です。7~8千円も負けるなんてありえない、普通の世界じゃない、と思いました。

その後、麻雀、パチンコを中心に生活する友人グループと付き合っていては、せっかくの大学生活を台無しにすると思い、そのグループを抜け、別のグループと付き合うようになり、ギャンブルとは無縁の生活となりました。

パチンコ屋でのバイト時代

大学4年生になり、単位も取り終え就職も決まり、毎日学校に通う必要もなくなったので、アパートを引き払い実家に戻りました。田舎でアルバイトを探すと、どれも時給が安い中、近所のパチンコ屋が時給1,100円で募集していました。

応募すると、都会のまぁまぁいい大学の学生ということで珍しがられ、即採用となりました。

パチンコ屋では多種多様な人が働いていました。

店長は当時22歳で中卒でパチンコ屋の社員になった年下の若者。もう一人の社員は30代後半で、片目を失明しているもののトラブル客対応を主に担う強面。

アルバイトは、地元高専生、地元大学一年生、フリーターの23歳女。カウンター担当のアラサー女性アルバイト(パート?)が2人。

田舎の小さな店舗でしたので、メンバーは以上8名です。

店長は店長なのに年下ということで敬語で接してくるし、もう一人の社員は強面だけど、閉店後遅くまで目押しの練習に付き合ってくれるし、大学一年生のバイトはチャラ男だけど憎めない奴で、フリーターの23歳は化粧っ気がなくて地味だけどよく見ると可愛い子で、はっきり言って仕事も楽で、とてもいい職場でした。

今のパチンコ屋は接客態度など非常に厳しく教育しているようですが、私が働いていたのは田舎のパチンコ屋ですので、接客面の教育は全くありませんでした。

仕事内容は遊戯を終えた客の玉を運んで計測器に流す、大当たりした台に札を差す、玉づまりを直す、目押しできない客に代わって目押しする。あとは、当時まだ客が大当たりするとマイクパフォーマンスをするという文化が残っていまして、自分の担当のシマで大当たりが出るとやってました。

「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。ありがとうございます。いらっしゃいませぇ!〇〇番台大当たり。おめでとうございます!!!」から始まって、適当に社員や他のバイトの真似をして言ってました。

最初は恥ずかしかったですが、慣れると仕事中に大きな声をだせることが気晴らしになって、カラオケのような感覚で気持ち良かったです。

唯一、夜中の新台入れ替えだけは重労働で大変でした。

田舎ということもあり、客のほとんど常連でした。

負けた日には「こんな店二度とくるかボケー!!」と店員に怒鳴り散らして帰るのに、翌日には何事もなかったように来店してくるような客ばかりでした。

ある日、珍しく若い女性客がいるな、かなり可愛い子だな、と思ってみると、小学生時代の初恋の子でした。クラスも違い、話したこともなかったので、向こうは気が付きもしません。彼氏と来店していました。

当時、中卒22歳の若造店長が考案した、とある条件を満たすと客の台の設定を6にする、というスロットキャンペーンの真っ最中でした。

これがはっきり言って、ざるというか穴だらけの条件で、数人で協力するとすぐに条件を満たしてしまいます。初恋の子もグループで来店しており、すぐに条件を満たしました。

確か彼氏の方がサラリーマン金太郎という台で20万円勝ち、初恋の子も7万円ほど勝っていきました。それから平日にもかかわらず、3~4日連続で初恋の子が昼間っから来店しました。とても悲しい気持ちになり、自分は絶対にパチンコをやるような人間にはなるまい、と誓いました。